zhongjpn’s blog

瀬戸内海

尾道~常石航路 乗船記

9月半ば、尾道港と常石港間を往復するフェリーに、尾道港から乗船しました。常石とは、常石造船企業城下町で、沼隈半島の海岸線に沿って4キロ以上にも広がる巨大な造船所です。港はこのほぼ西端に位置しています。

〇順序が後先になりますが、先ずは常石港、ここで見つけた蓼場(たでば)のスケッチです。
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港内の奥深く、両側を波止で守られた水路があり、満潮時の水を引き込む浜が有り、そして浜には天然の乾ドックまであったのです。多数みられる軌条はロープの束で、船を手繰るのに使用されるものと思われます。
蓼場とは、船底のメンテナンスの為、潮の干満を利用して舟を浜に乗り上げさせる場所の事です。
左上にせり出しているのは造船所のクレーン、橋の奥がフェリー乗り場で、出港まで余り時間が無いので焦りながらペンを走らせました。
奥の波止の手前際に長方形の謎の斗があり、その時は分からなかったのですが、後で見ると明らかに小さな乾ドックでした。斗の中に2か所設けられた架台、その上あたりに舟を固定すると潮が引いたときには自動で架台に乗ってくれる訳です。凹み部があるので下に潜り込んでの作業が楽そうですね。
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満潮時には、後ろの波止が黒くなっているところまで潮がせりあがってきます。ちなみに当日は若潮、即ち小潮の2日目で潮の干満差は2メートル30㎝程。そしてスケッチをした時間は1pm でほぼ干潮の時刻でした。
奥のフェリー乗船用の可動橋が浮桟橋に向かって大きく下に傾いていますね。干潮故の光景となります。
前回の伊保田港でもほぼ干潮でしたから、まあ、運が味方してくれたのか、と回り合わせの神に感謝です。
満潮なら先ず気づく事のない景色ですから。スケッチの中の船たちは後6時間もすれば全て海に浮かんでいる訳ですね。
以下、当日の時間軸に沿って記述します。

〇朝10時過ぎ、尾道港ターミナルビル内の待合室です。JR尾道駅周辺はこの日も沢山の観光客でコロナ禍を忘れる程の人出でした。でもこの待合室丈は人気が殆ど無く、切符売り場も自動販売機が有るだけで無人。店も閉まっていて寂しい限りでした。港町の看板に偽りあり、です。海際に北前船スケールモデルが寂しく展示してありました。
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昔、北海道から日本海、下関を通って瀬戸内海へ、そして難波津まで、長い航海だったと思います。その寄港地として尾道は繁栄していたそうです。

〇今日乗船する“フェリー百風“が入港してきました。小さな船ですが、新しい船で完全なバリアフリーになっています。背景は、向島日立造船です。今、この会社は船を造っていません。
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1時間ほどの短い航海、途中4カ所の港に寄港します。狭い尾道水道から松永湾を抜けて、先ずは水道の出口、東側にあたる戸崎港、そして対岸、向島の歌港に寄港、その後海は開けて、沼隈半島付け根の満越港に寄港します。次が最後の寄港地、百島の福田港です。
船名からも分かる通り、この航路は百島の為にあるようです。
離島ですが、小さいけれど綺麗な島で、更に特筆すべきはカラフルな新しい家、建物が多数見える事です。
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福田港です。結構な車、人の乗り降りが有りました。
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島と言えば、過疎となってしまう昨今ですが、久々に活気のある島に出会った気持ちがしました。未来を見据えると、この世知が無い世の中の反動として、離島や島が見直されるべきと常々思ってきましたが、この島を見るとその前兆のようなものを感じました。
終点常石港で、百島からの沢山の車、人が降りることになります。ちなみに福田港、常石港間の車の片道航走料は軽自動車で910円です。常石造船所の近くに位置する千年町にはショッピングセンター等が集積していて、案外、島の人は煩雑な尾道を意識して避けているのかも知れません。

〇福田港を出ると、10分程で向かいの常石港に着きます。造船所の沢山の巨大なクレーンが林立しています。入港間近、ひっそりと停泊しているグレイの目立たない船、瀬戸内海の特殊なクルーズ船“がんつう”を発見しました。3000総トン、1泊何十万円もする庶民には縁のない船です。でもこのコロナ禍の中、どれくらい稼働しているんでしょうかね?
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〇昼過、常石港に入港です。
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この港、予想通り何もない、と言うのが第一印象でした。食料、飲み物は持参しています。缶ビールは船内で飲んでしまいましたが。暑い日でカンカン照り、おまけに正午過ぎなので影も無い。見えるのは造船所の高い塀のみ。
30度を超える真夏日、取り合えず造船所の塀に沿ってあてもなく歩くことにしました。でも5分程歩くと急に景色が一変して大きな幼稚園やコンビニ、食堂、生鮮館等がある区域に出ました。晴天の霹靂とでも言いましょうか。驚きの光景です。そこは造船所の本社、事務所等が集まる区域で、大きな駐車場があります。その一角に食堂があったので早速入る事に。客も店の人も全部若い向うの方でした。フィリピン人でしょう。
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ラーメン400円、ビール系金麦R缶120円、合計550円の昼食。 安いですね。ちなみに持参した弁当は帰りのフェリーで、ワンカップは帰りの車中で無くなりました。

誰との会話もなく、しかしほろ酔いで気持ち良く帰途に就きます。
フェリー乗り場に直行の予定でしたが、直前で前述の蓼場を発見してスケッチをすることになったのです。
最初は、船着き場で月並みなフェリーの絵でも一枚描ければいいかな、と思っていたので思いがけない収穫でした。

〇最後にです。蓼場とは、ですが、もしかすると瀬戸内海では地元の人にとっては当たり前の景色なのかもしれません。昔々から繰り返されている単なる生活の場としての景色なんでしょう。又、我々も特に意識をして見ない限り単に舟を係留している丈の入り江としか見ず、素通りしてしまうと言う事でした。その浜の満潮時と干潮時とを同時に見る事は出来ないですからね。
一般的に過疎地、島などに住んでいる人たちは案外歴史などに依存する自分たちの宝物には気づかない、と言いますが本当かも知れません。

〇参考に、フェリー百風の概要です。
2015年、神原造船所で竣工 船主:尾道市
運航:備後商船 
総トン数174トン 全長38m 幅 8.9m
速力10.4knot 主機 ディーゼル 1470PS
旅客 150人

伊保田港、熮場跡

8月初め、周防大島東端の伊保田港へ行ってきました。自縛気味の昨今の生活ですが、久々の他県への越境を実行です。
何も無いフェリーで、何も無い港へ。一時のコロナ禍からの脱出。

でも伊保田港では意外なものも発見出来ました。港の一部に昔の熮場の跡です。干潮から1時間半位過ぎた頃でした。波止の間から海水が流入を始めています。早速、小さなスケッチブックを取り出して印象を速記します。
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絵では見えませんが、右手小舟の奥には船を上陸させる為の軌条があり、陸側にはかなり大きなウインチがあって、軌条とはロープで繋がっています。
そうです。今は漁船等の修理用ドックとして使われているようです。
軌条とウインチの画像です。
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このような場所は気が付かない丈で、案外 瀬戸内海の浦には当たり前に何処にでも存在するのかも知れません。

〇熮場(タデバ)とは木造の漁船等で船底に付いた異物、貝殻等を掃除する仕事で、舟のメンテナンスとしては結構重要な仕事らしいです。昔は松の葉を燻したらしいですが、今はどうでしょう。
福山市鞆の浦には昔の熮場が保存されている、と言うことで有名ですが、前回行った時は運悪く満潮の時で、何も見る事が出来ませんでした。今回、こちらでは夜8時頃には満潮になる筈で、最初のスケッチ中の右側の小舟は、帰りの車中の頃には既に海に浮かんでいたと思います。自然の現象を利用した天然の乾ドックです。堤防の下側、黒くなっている線まで潮位が上がります。

〇その日は午後2時頃がこの地域の干潮でした。夜は満月だったので大潮だったと言うのも幸いでした。干満差は3メートル位だったと思います。
戦艦陸奥記念館からの帰途、3時半頃、干潮から1時間半経過した時、砂紋を縫うようにしてこの天然のドックには僅かに海水が流入し始めていました。浜の波止の際に鷺が1羽留まっていて、あれ、と思いカメラを向けた時、この浜の特殊な構造に気がついたわけです。うっかり見過ごすところでした。鷺に感謝です。
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〇フェリーはお昼の12時半に柳井港を出航しました。何も無い船と目的地なので食料、飲料は調達済でリュックは結構重たくなっています。
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2時前に伊保田港に着き、徒歩で陸奥記念館に行きました。途中、前述の熮場が右手にあったはずですが全く気付かないまま通り過ぎていました。旧日本海軍の戦艦には特に興味はありませんでしたが、他に行くところが無かったからです。

伊保田港です。何も無いところですが船着場丈は綺麗に整備されています。
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陸奥記念館からの北の海を臨みます。
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1943年頃、この広島湾は日本海軍最大の投錨地でした。そこで起こった戦艦陸奥の大爆発、1000人以上の人が犠牲になりました。現地では箝口令がしかれたそうです。

〇帰りは、東広島までJRで乗り換えを含め2時間と少しかかります。。柳井港で買ったワンカップをチビリチビリと頂きながら時を過ごしました。
只、マスクをしてのこの作業は結構大変です。何とかならないんでしょうかネ?
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新製品の登場が待たれます!

As not forget

As not forget it and as not repeat it anymore!
As not forget for such Tragedy
In 1988 31st July, at Butterworth of Penang State, Peninsular Malaysia.

〇Passenger platform of Jetty was badly collapsed and floor was smashed onto many cars and motorcyclist who are waiting at ground floor.
Rescue basement was settled at Polo Ground near Jetty and Hotel where I had stayed.

〇Around 11o’clock, I took out my paper and brush, then turned off all the room right since as to see outside more clearly. From the window, I started to draw outside view under no light.

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In center, rescue helicopter is touching down.
Though result of the painting was poor, but also it was a master piece for very deep memory.
Relation of the jetty and Polo ground is shown in picture as below.

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lower side is Jetty, topside is the ground. And left side is Penang island. This Butterworth bird’s-eye view was made on next year of the incident.


〇It was caused by a reason of two major festivals organized in the same day and evening, one is held at Penang island and another is Butterworth side.
Afternoon on the day, when thousand people moved to/from each side, the tragedy was happened.
Ferry with many passengers from Penang (PG) was berthed at Butterworth (BW) jetty where also many people are waiting ferry for crossing the channel to PG. Under such circumstances, people forwards to PG and dropping people from PG was badly smashed in the waiting area located 2nd floor of Jetty.
Unfortunately the floor couldn’t stand weight of people, then was fall down to the ground in a moment.
It is said that many victims were died on the spot.
I encountered this incident at the night when on the way back to Butterworth from outside for business trip.
Time was already 10 o’clock but still very crowded, a lot of people stayed outside and busy.
Also find big helicopter of Malaysian air force was in the sky with big sounds. Taxi driver told me that “Jettey bridge was collapsed and might be many people died!”
After reached my hotel room where located at6th floor, then opened curtain, looked down Polo ground. I saw the helicopter taken off from the ground and fried away across the edge of my room.
I found another helicopter was just touched down at the ground. They are busy to carry the people to the hospital near by.

Then determined to draw this terrible scene!

Follows are some news paper issued at next day and after.

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今年は蝉にとっても厄年になっています
例年ですと今の時節は喧しい程の蝉が鳴いている訳ですが、でも今は違います。コロナ禍が人間を襲っていますが、自然界でも異常な豪雨や梅雨が続いていて、こちらでは未だ7月下旬になっても雨が続いています。
我が家、何時もの今頃は庭のクロガネモチの中木で蝉が喧しかったのですが、今年は悲惨な状態になっています。昨年も梅雨明けは遅かったんですが それでも7月25日からは我が家では30度を超えるカンカン照りになりました。
毎年、7月半ばからは蝉は脱皮を始め、そして樹木に登り鳴き始めている訳ですが。
今、我が庭には蝉の亡骸が散乱してる何とも切ない状況になっています。
実は、5月に木を伐採してしまったのです。蝉の事まで全く考えず無頓着でした。
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この蝉、今朝はベランダの敷石でヨタヨタしていました。羽根が片方損傷しています。ひっくり返っていたのでうちわでずらして起こしてやりました。すると何度か羽根を動かして飛び立とうとしたんでしょう。でもそれがアダになって又裏返しになってしまうんです。羽根が損傷しているからバランスが取れないんでしょうか。その後も何度か団扇が登場しましたが結局、敷石のきわから落下してそのままになってしまいました。
元々あった登るべき木が無く、おまけに長雨で動きが取れず、だったのでしょう。
何とも哀れとしか言いようがありません。一度も飛べず、又鳴かず、で一生を終わってしまったのですから。
でも、そんなあがきは生きるための本能でしょう。終わりの苦痛は無かった、と祈るしかありません。
人の運命も同じかも知れません。


今年は蝉にとっても厄年になっています
例年ですと今の時節は喧しい程の蝉が鳴いている訳ですが、でも今は違います。コロナ禍が人間を襲っていますが、自然界でも異常な豪雨や梅雨が続いていて、こちらでは未だ7月下旬になっても雨が続いています。
我が家、何時もの今頃は庭のクロガネモチの中木で蝉が喧しかったのですが、今年は悲惨な状態になっています。昨年も梅雨明けは遅かったんですが それでも7月25日からは我が家では30度を超えるカンカン照りになりました。
毎年、7月半ばからは蝉は脱皮を始め、そして樹木に登り鳴き始めている訳ですが。
今、我が庭には蝉の亡骸が散乱してる何とも切ない状況になっています。
実は、5月に木を伐採してしまったのです。蝉の事まで全く考えず無頓着でした。
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この蝉、今朝はベランダの敷石でヨタヨタしていました。羽根が片方損傷しています。ひっくり返っていたのでうちわでずらして起こしてやりました。すると何度か羽根を動かして飛び立とうとしたんでしょう。でもそれがアダになって又裏返しになってしまうんです。羽根が損傷しているからバランスが取れないんでしょうか。その後も何度か団扇が登場しましたが結局、敷石のきわから落下してそのままになってしまいました。
元々あった登るべき木が無く、おまけに長雨で動きが取れず、だったのでしょう。
何とも哀れとしか言いようがありません。一度も飛べず、又鳴かず、で一生を終わってしまったのですから。
でも、そんなあがきは生きるための本能でしょう。終わりの苦痛は無かった、と祈るしかありません。
人の運命も同じかも知れません。

スマホを入れ替えたのでドメインが変わりました。

ブログのドメインが変わりましたので、ついでにイメージ画像も替えました。

関連して、先日、ガタガタのスマホを新しい物に入れ替えました。その際の条件としては:
3万円以下であること、画面が大きいこと、電池容量が大きいこと、と言うことでした。
それで、Oppo_A5-2020にしました。
2.85万円、画面6.5in, 電池 5A です。
保護フィルムが既に貼られていたり、ソフトケースが付属していたり、スマホ側のミニUSBの方向性が無くなっていたり、で良い買い物をしたと思ったのですが、以下、問題も出てきました。

PCで作ったデータ(wordや画像)が付属の充電ケーブル経由で取り込めない事です。(スマホのデータをPCには転送可能です)
我が家にはWiFi環境が無いので、いちいちmicro SDを取り出して、そこにデータを入れなきゃならないのかな、と観念しましたが、最終的にBluetoothで行けそうと言う事が分かりました。今後、使いこなしていくと他にもいろいろ出てきそうです。