ガイド日記 韓国Kさん
酒蔵ガイド、真夏のガイドは大変、特に今年は、、
でもな、こんな時でもいろんな人との出会いはやっぱり楽しい
JRおでかけネットと言うのがあって毎日曜、年中無料でガイドをやってる。
7月のこの日、炎天下の10時半過ぎ、1人の若者が観光案内所にやって来た。時限は過ぎて ほぼこれで帰れるわ、と思ったときの事 フラッとやって来た若者に案内所の人が 無料のガイドがありますよ、と言って、目が合ってそしてそしてガイドが始まった。
これ、韓国の35歳の人で英文の酒蔵通りMAPを所望されていた。こうなると一気に覚醒するのがガイドの本性。この人、以下Kさんと書きます。
思えば、英語のガイドは僕としては久しぶりだったなあ
先ず駅前で、そこでいつも通り駅前で賀茂泉ビルの紹介から、その屋上に掲げられた巨大な8つの酒蔵会社名を感じで書いたサイネージを見てもらう、でもそこできょとんとしているKさん。
I don’t undeerstand Japanese!、 との驚きの答え。 青天の霹靂、そうや、そうやった、今の若い人はハングルと、英語しか学校で習ってないんやあ、これはガイドはやりにくいで。
昔知ってる韓国の人は名刺も住所も皆漢字やったのになあ。
この日、炎天下でも結構な韓国の旅行者が酒蔵通りを歩いていた。
このKさんによると最近、週何便か、韓国の清州空港と広島空港を結ぶ韓国のLCCが就航したみたいで、日曜日にも便があるとか。朝、広島市内のホテルをでてJRで西条へ、そして時間つぶしに酒蔵見学、と言うルート、午後1時に駅北から空港に向かうリムジンバスがあるらしい。成程、この無料ガイドの時間にぴったりはまってる!
ホテルにそのようなパンフレットが有ったのかもなあ
でも、無料ガイドがある、とまでの情報はないんやろうなあ
このKさん、日本語は片言は話せて買い物位は出来るで、と言っていた。前回は家族を連れて高松空港発着のツアーに参加した、と言ってた。親孝行やねえ。
熱かったけど一期一会の世界やった。



〇韓国の清州では最近大雨で大規模な災害が発生、今日本ではあちこちで豪雨災害、洪水など大変な事になってるけど、あちらでも先行して大災害が有った事をKさんに教えてもらい、少し申し訳ない気がした。
日本では余り報道しないからねえ
棚田を見上げて思うこと
6月にたまたま訪れたみわ文化センター、その駐車場から描いた棚田の風景です。
周辺情報はご参考に。






以下、スケッチしながら思ったお米についての昨今を呟いてみました。
〇主食であった米の今の立ち位置、去年の8月頃から10キロ袋がメインだったスーパーの棚は5キロが増え始め品薄感が出てきた。8月半ばに取りあえず仕方なく5㎏2080(税抜き)で買った。春より30,40%UP.していて非常に高く感じた。そして9月には全く商品棚からコメが消えた。今、目の前に広がる水稲の棚田、きれいヤ、けど、でも何か複雑な気持ちになる。
〇昨今、僕の情報源はSNSに頼る事が増えた。テレビは画一的で特にコメに関しては東京発のニュースが殆どを占めたため、と書いておこう。
〇昨年11月にBLOGを書いた。当時のこちらのスーパー、10キロ換算税込6700円位、5キロでは3350円、その段階で既に安い食パンには太刀打ちできなくなっていた。ところが最近JAの人が総菜パンと比較して米は安い、と言った記事が。信じられない発言やった、あの人はおかず抜きでご飯を食べるらしい。
尚、食パンは近くのそのスーパーでは今さらに安くなり、税抜き98円になっている。(1年前は108円)
〇こんな最近のニュースも、フェイクかもしれないが。
北陸地方のある農家さんへのインタビュー、5キロ2000円ではやっていけない、廃業するしかありません、と。
でもこれは市場価格なの?玄米なの?5キロで農家さんが売るの? と沢山の?が。
これ本当に農家さんが言ったの?
〇ある報道でコメ価格の地域の比較をしていた。岡山県のお米が全国一高いらしい。比較して東北などは随分安いらしい。
それでその報道機関は岡山県の農家で直接調査したらしい。そしたら昨年の秋、大阪、東京の業者が大量に買って行った、との事。それで品薄になり一番高くなった、と締めくくっていた。これは成程と思った。でも本当?
〇昨年のBLOGに添付したイラストを参考添付します。

僕の生活では今では主食としてのパンがすっかりと定着しました。残念ですが。
ボランティアガイド研修 IN 赤穂
今年の研修バスツアーは赤穂と坂越へ
現地のガイドさんとの交流会です。
坂越はJRで言うと播州赤穂駅から東に一駅違い、距離にして3キロ位離れている。この辺で言うと 西高屋~西条位の感じかな。
赤穂駅は大河、千種川の北側に位置している。河口に巨大な三角州が出現した結果、塩田が出来たと言う訳か。 そのため赤穂は海が遠浅過ぎて港にはならないので 坂越が塩の積出港になったみたいやわねえ。北前船の寄港地でもあったらしい。
ツアーは坂越、大石神社、潮の国 と回った。帰りはバスの後ろの方で小さな飲み会があった。揺れるのでこぼれないようにするのに難儀した。
〇坂越
石段を上ると大避神社、聖徳太子の頃からあるらしい
拝殿の横の箱、ガイドさんが これがお払い箱の起源ですと言う。皆から歓声。案外こんなガイドの一言がガイドの価値を高める。成程なあ!
〇坂越湾
何もない綺麗な砂浜に囲まれた目立つ白亜の殿堂、老人ホームではなくてリゾートマンション、との説明。
後から調べたら1500万円で売りに出ていた。管理費など毎月5万円が要りそう。
〇塩の国は昔の塩田跡を整備して運動公園なども併設している広大なエリア。
塩田は塩田跡と言う形で過去の物。現在はポンプで海水を汲み上げ流下式枝条架と言う設備で濾して18%の塩水を作るらしい。それを最終的に釜で煮詰めて塩になる。
その煮詰める体験実習に参加した。今まで漠然と理解してはいたが、実際自分たちで作ってみると成程、と言う世界に変わる。
怖い教官に感謝です。コンロに塩水の入ったボールがかかっている。4人で交代でヘラで15分程休みなくかき回す。綺麗な真っ白の塩が出来る。途中写真を撮るため立ち上がった人が教官に叱られていた。
教官、声は怖いけど顔は優しかったヨ
造った塩は小さな袋に入れて持ち帰り、今は台所の引き出しに入っている。
〇赤穂浪士の大石神社等にも行ったけどコメント割愛。悪しからず、です。
〇ガイドさんは、と言うと坂越、、大石神社 それぞれにガイドさん。歳はまあ、我々同年代。 でも大変元気、着いていくのに苦労する。ガイドは通り一辺倒ではなく、それぞれの個性が光る、一言が付け加えられて成程と思う事が多々あった。 お祓い箱など。
お元気でこれからもご活躍ください!






ベリッシマ5日間
台湾クルーズ5日間 12月下旬、とにかく行ったクルーズ5日間でした。当初計画より1年遅れのMCSベリッシマ。 この船の乗船記については既にYOUTUBE等でかなり頻繁に紹介されているので割愛するとして、ここでは このクルーズを選んだ理由とMSC社の集客力の凄まじさについても少し書いておきたいな。
〇足腰に障害があり、現在介護保険制度の要支援1になっている妻との2人旅。杖があってやっと歩ける感じの障害者です。坂道や階段が鬼門と言うハンディキャップ人の付き添いの役目を担っての旅になる。そこでこの旅の前提を作ったのが昨年の夏ごろ。下記の3か条でした。
1.ツアーバスや鉄道は避ける。乗り降りや駅の人込みが鬼門
2.階段や坂道は避ける。荷物は付き添い一人で抱えなければならないし本人の負担も大きい。
3.宿泊は同じところにする。旅行中の荷物の移動が大変。 そして選んだのは飛行機とクルーズのMIX、所謂 FLY AND CLUISE。
〇結果として 人込みの多さは船内、台湾、韓国、欧米などの外人さんも多くビックリ。ざっくりいうと、今回のMSCの集客は 那覇港と 台湾の基隆港の2か所から、沖縄から何千人、台湾から何千人と言う感じで。船内では杖の人も多く、車椅子の人も結構見かけた。 あちこちのプールやジャグジー、プールサイドでは終日、家族連れ、若い人や子供たちで結構の人、船と言うリゾートを楽しんでいるよう。下船がしんどい人は各種施設で楽しんでいる、何カ所もあるレストラン、バー、ビュッフェ巡りやしんどい時は部屋に戻って休めばいい、と言う色々な選択肢があるなあ、と。妻が部屋で休んでいるときは、あちこちのバー巡り。よく飲んで、そして歩いた。妻も痛い痛いと言いながら、あちこちでやってる生演奏やカラオケバー等、結局結構歩いた。どこに行ってもドリンクバーがあり、座ると注文を取りに来る。フリードリンクにしておいたので、会計の心配もない。車のない生活、スマホのない生活、毎晩夕食後はシアターでショーを見る、こんな生活はたまには良いな、と身障者の妻も思った筈。 そして付添人も楽ちん、やしね。 ストレスはやはり空港 及びそこからのアクセス、いくらバリアフリーとは言っても少しは歩いて、又少しはバスにも乗らないといけないし。思えばたった5日間とは言え、道中いろんなことがあったなあ。
〇後書き
待ち時間の長さ、多々ある説明不足の問題、等々日本人特有のストレス要因が沢山あったけど。これが安いクルーズを可能にしている。それに待ち時間や細かい所は気にしないと言う明るいイタリア人気質が船を支配している、そんな印象が余韻として強く印象に残った。向うさんに合わそう。この船はイタリア生まれのイタリア育ち。但し殆どのクルーは アジア仕様で フィリピン、インド、インドネシア、の人 8か月勤務で、今回は25年春まで休みなしの乗船勤務とか。 他方、客たち、杖を頼りにしている人の多さ、車椅子の人も多数見かけた。正に動くリゾートホテル、毎日寝て起きて食べて色々なショーを見て、イベントに参加して暮らせる旅行の一つの形態かもな、とも思った。出発前、パスポートや衣類、旅行ケースなど色々な物を買った。又使おうな、と妻とは話をしている。それを励みに早く足腰を直してほしい。
〇画像添付です





〇以下、特に読む必要のない5日間の日記 広島空港から飛び那覇港発着のMSCベリッシマに乗った。イタリアの17万総トンのカジュアル客船、想像以上にでかくて道中カメラに全貌を一枚も捉えられなかったと言う大きさだった。帰りの那覇空港に向かうバスの中から撮ったのが唯一。
1日目
いざ出発。自宅から空港までは小さい自家用車で、空港の駐車場はシャトルバス付の少し離れた所にある巨大駐車場、これで歩かず空港のエレベーター前まで行ってくれる。運転手さんは荷物の上げ下げも手伝ってくれる。付添人も後期高齢者なので。空港では旅行社から切符を受け取って直ぐに荷物を預け両手をフリーにする。 予定外は那覇空港、飛行機出発が1時間遅れて12時半に。機上では軽食が出ると思ったがそれもない。到着も遅れて余裕がなくなり焦る、昼食を食べる余裕もない。 到着ロビーの預け荷物を受け取った後が更にいけない。到着ロビー前にベリッシマ行の有料シャトルバス乗り場があると理解していたが、案内には確かにそうあったが無い。3時半が最終のバス、時間は既に3時前。あちこちで聞いて結局二つ荷物を抱えて500メートル先の観光バス発着場まで歩く羽目になった。妻も杖で必死に歩いた。ここで既に疲労困憊になった。 クルーズターミナルには15分程で着く。巨大なテントが並びそこで荷物をあずけ入国審査とクルーズカードの発行手続き及び受取をする。パスポートは船に預け代わりとなる証明書を受け取る。事前案内には自分でコピーを取っておくこととあったが、必要無かった。 歩み板を使って乗船、クルーズカードと証明書のチェックがある。自分たちの部屋は112階の左舷前方、途中バリアフリーではあったけど、迷いながら船室へ。部屋の前には既に預けた荷物が到着している。時間は午後4時を回っている。夕食は4階のポセドニアで5時からと、時間とテーブルが決まっている。このような大食堂が3ヶ所ある。全て2~3交代制となっている。何せ5000人以上の客が乗っている。 その前に先ず困ったのがクルーズカードにクレジットカードを紐付する作業。6階のアーケード通りは数多の人でごったがえしており、西も東も何が何やら分からない状況、手続きの機械がどこに有る? 人に聞いても良く分からない。この手続きを先ずするようにとパンフには書いてあったし。後で思うと、7f先ず旅行者のデスクに行くべきだった。 夕食時赤ワインを少し飲んで妻の気分が悪くなった。昼食抜きが関係してるかと思ったが結構深刻。係の人に言って車椅子を手配してもらった。来たのは若い男性のクルー、 ずーとキャビンまで送ってもらった。少し時間がかかったが、計らずとも分かった事、この船の危機管理はきっちりと出来ていた。
2日目
こんな訳で初日は散々。2日目はさっそく静養日に。 朝、石垣港に入港。何十台の観光バスが港を離れていく。朝、昼ともビュフエで過ごす。石垣市に行くシャトルバスが出ているので少し出ようかな、と妻とも話したが雨が降り出したのでやめた。船内探検に終始。15回のリドデッキには二つのプールがあり前方が屋内の温水プールになっている。西欧の船は基本的にCABINはシャワー丈なので、風呂代わりにプール際のジャグジーに入っている日本人も多かった。船室からそのままプールに出掛けることが出来る。おかげで足元が滑りやすくそこを歩く時は妻の手をしっかりと掴んでなければならない。付添なので。 夕食は昨夜のこともあり自重。3度とも15f後部のビュッフェで食べた。夜はアクロバットショー、これが今回、船上での唯一の出費だった。 ずーとグダグダ過ごした。船ならではの過ごし方と言える。スマホの歩数は16000歩を超えた。
3日目
朝、台湾の基隆港に入港 天気は曇り。ツアー代に台湾ツアーが組み込まれているので、天敵のバスツアーやけど、妻と迷ったあげく参加することにした。台北の中正記念館物産館、そして昼食、バスにはもう一組、杖で歩いている方がいて、我々も階段の有る所は特別にエレベーターに乗せてもらったりで、まずまずの心使いはあった。そのあとバスは台北東の山岳部、十分点燈揚へ。雨が本降りになる。傘は1本しかない。おまけに身障者が居る。途中、ファミマがあったので傘を買う。悪路の水たまりと戦いながら十分街区へ。十分商店街を横切る鉄道、ディーゼルカーが群衆をかき分けて通過する。大雨でも群衆はひるまず、又点燈揚業者もひるむことなく、雨をついて点燈が舞っている。妻は歩けないので可哀そう。とにかく願い事を墨で描いて火をつける、するとあっという間に天空に飛び去った。バス中でガイドが言っていた。ここは雨が多いです、と。でも私の時は一回も中止になった事がありませんと。へえ、運のいい人やなあ、と皆が思っていたが、ヤッと分かった。大雨でもするんや、と言う事で。 この十分点燈揚げ、もう一組の身障者の方はバスを降りなかった。賢明にも、と言いたい。 ツアーの案内には雨の時は中止、と書いてあったけど。この日、1万歩以上歩いた。妻もそれくらい良く歩いた。少しは歩くことに自信を持ったかな、と願った。 夕食時のドレスコードはホワイト。事前に近所で買った白いシャツとズボンで、レストランへ。おりしもクリスマスイブ。全船がお祭り気分に包まれていた。子供や若い人の何と多いことか、にビックリしながら。今日はクルーズに来たんやねエを実感した一日だった。 後は、900人収容のロンドンシアターで、Mr,ペンギンショーを見て一日を締めくくる。
4日目
午後3時に那覇入港予定。終日海の上でほぼ、のんびり。15階の ビュッフェ に行ったり来たり、あちこちのバーで飲んだり食べたり。ドリンクパッケージをつけて正解やったね。全てのDRINK が無料。ツアーに食事代はついているけどDRINKはお茶でさえ別やからねえ。 3日も過ぎると自分の居場所が欲しくなる。18階にあるホライズンバー、船の後ろから大海原を見ながら酒の飲めるバー。 下にはホライズンプールがある。このエリア、あまり若者や子供が居ない、静かな人達が集まっている。小さなメモにざーとスケッチ。 18階、と書いたけど実際は17階。何でもイタリアでは数字の17は日本の 四 と同じ理由で忌み嫌われるらしい、知らんけど。 この日午後4時過ぎ船内アナウンス、日本人は6時までに入国審査を終わってください、との内容。夕食は5時からと決まっている。矛盾する。7f旅行会社のデスクに出向き確認、どっちが優先ですか? と。回答は入国審査ですと。おかげさんで夕食は20分遅れの5時20分頃になった。知らなかった人も多く夜時頃のアナウンスでは実名を挙げての内容になっていた。明日と思っていた人が多かった筈。旅行最終案内にはこれは出ていなかったし。 明日の朝は8時に部屋を出る事のおっ達しが。又預け荷物は今夜11時までに部屋の外に出しておくこと、これは事前に連絡あり、粛々とそれに従う。二つの預け荷物は今日部屋に届けられた荷札を貼りつけて。 最終日は午前中に我々を追い出し、午後は新しいお客さんを乗せて出港する算段。
5日目
6時にビュッフェで朝食、8時には5fロンドンシアター前のエレベーターホール付近で下船待機となる。我々の空港行のシャトルバスは10時過ぎの最終。これは今日のフライトの時間を鑑みて決められている。とにかく多分やけど今朝の内に2000人以上の日本人等が空港に移動する筈。この日の状況を書くとこうなる。 一昨日の午後、基隆から乗った台湾の人等は多数ここで朝下船して沖縄の各地に向かうのかなあ。岸壁のテント内で出国審査や税関の手続きが行われているので長い列が出来ている。 並行して日本に帰って来た何千人の人達の昨日に続くチェックが行われている。昨日入国審査は終わっているので再度の税関申告書提出だけやけど。 そして前述の如く昼頃からは、今日出発する何千人の出国審査が始まる。丁度、5日前の我々の様に。 那覇空港に着いたのは昼前。今回は遅れもなくすべてがスムースに。唯、フライトは4時過ぎなのでたっぷりの待ち時間。結局、那覇の市内に行く余裕は全くなかった。何時間の待ち時間が当たり前、これが5500人の乗客をコントールするMSCの技なのかと。
老人ホームと自画像
77年目の自画像 そして、今こんなことをしています “老人ホームでの5年間” のblog です。
さて皺だらけの自画像です。あまり描きたくはなかったけど、もっと前に描いておけばもうちょっとましやったのになあ、と思ったりしながら、でも勇気をもって現実を直視して描いてみました。

これは職場である老人ホームでの我が姿、眼鏡、マスクは外してある。これらを入れたら何がなんや分からんようになってしまうんで。週三日、日に3時間のパート社員姿の自画像です。
実はずーっと気になっていた。以前どこかで読んだような、人間70を超えたら自分の顔に責任を持て、と言う言葉が、そしてやっと実行。でもこの“責任”の意味て、ちゃんとした人間になってなあかん、と言う意味なら残念ながら該当外になるかなァ。この自画像からは、どう見ても自信は感じられないし。
思えば5年前にたまたま飛び込んだ老人ホームの世界、人生の中で中々出来ないことをやってしまったが、早や5年が過ぎて6年目に突入、今はやったア、と言う気持ちでおります。ここまで来たら次の大台までやってみたろか、と言う気持ちにもなっている。そうです。エネルギーを頂いているのです。

周りを見渡せば、5年前と比べて親交のある古い友人達がどんどん減っていく、自然減やったり疎遠になったり病気になったりで。そんな中での極めて細いお付き合いではあるけれど 職場での沢山の職員さん、利用者さんとの会話の機会があると言うのは今やお宝そのもの。大事にしたい世界になりました。
昔は 我々60過ぎて退職後これを第2の人生、とか言ったんですけど、、でも今世代の高齢者にとっては寧ろ新しい人生と言うべきかと思います。何もしなくて悠々自適の人生、とは若いころの老後の理想だったけど実際は違った、大外れ!
新しい世界なので新たに学ぶことはいっぱいある。70を過ぎてからの失敗談がなんと多いことか、今までの認識を変えていく必要有り、読めない漢字や言い回しを知り、自分の常識さえも変えていく。
昔の言葉に、晩節を汚さず、と言うのがあるけど、老人の寿命が今は随分延びたので中々難しい、出来るだけ汚さぬように、でいくしかない。
若い人へのパワハラは避け、身体の不自由な人、お年寄りへの気配りに 気をつけよう。尤も僕も色々と年寄り扱いされる年齢、座席を譲ってくれたりされる。昔は断ったが 今は有難く好意をいただくことにしている。
終わりに、 文中で接頭語 “今の所は~”、と “年の割には~、がたくさん必要でした。が煩雑になるので省略しました。悪しからず、です。
お酒はどうしてできるん〈改〉

わかったようで分からないお酒の世界_改
パワーアップして、更にわかりやすく表現を変えてみました。お酒の工程を理解するうえでの一助になれば幸いです。
槽(ふね)による絞り工程で前回は間違っています。
修正しました。(かかり石の位置が異なっていました)
〇先日、西条生まれの酒好きの友人に酒蔵通りの話をした時、こんな一言が。
「でも、沢山酒蔵があるけど、実際にはお酒はよそで造ってるんでしょう」 と。
一瞬ビックリ、
「そんなことはないですよ、今でも、現役でお酒造ってますよ、」と言っても納得しないので、仕方なく 自分が西条酒蔵ボランテアガイドをしている事まで暴露する羽目に。
でも直ぐに成程と思った。案外そんなものかも知れません。この自分もここにきて40年になりますが、酒蔵の存在にはっきり気付いたのは、15年ほど前の春、ある酒蔵の鏡開きに友人と行ったときの事でしたから。
なんでも興味のない人って、こんなもので、救いようがない。
〇逆に、先日近くの小学5年生の社会見学でガイドをした時の事。
蔵の前で説明する時まさかと思って、
「杜氏て、分かりますか?」と聞いたら一人の生徒が
「僕、わかります」 と手を挙げた。さらに 杉玉やなまこ壁の理由など細かく聞いてきた。これ又恐るべし!!
ちなみに、杜氏(とうじ) とは個々の酒蔵を取り仕切るお酒の責任者の事、最初から最後まで面倒を見ます。その下に 蔵人さんが複数いて、色々な工程を経てやっと一つのお酒が出来あがるわけです。
以上補足でした。
鞆の浦散策
福山市の鞆の浦へ広島県旅行割を利用して行ってきました。
芸陽観光と言う東広島市にある貴重な旅行企画会社主催です。
行程は、鞆の浦散策、四つ星ホテル鴎風亭での昼食と入浴、そして改装工事の終わった福山城天守閣の見学です。
F4スケッチブックは今回開くのをあきらめかけたのですが、鴎風亭のテラスから、正面に造船所が見えたので、入浴はカラス風呂にして、躊躇わず筆ペンを取り出しました。仙酔島や弁天島が見える方向とは反対側になります。
〇本瓦造船所のスケッチ
い

曇りやけど空と海は案外と明るい
干潮が過ぎて少し少し経っていて、それでも堤防の高さは際立っている
今日は若潮、大潮と小潮の間、大潮なら多分2メートル程更に水位は低いかもしれない
造船所右手の青い構造物は最近完成した浮きドック、自社用でこの造船所で建造した船のメンテナンスをメインとしていらしい。その手前に停泊してるのは、消防 兼 廃油等回収船、最近進水したみたいですな。
本瓦造船所は小型のタンカーや貨物船は勿論、このような特殊船を得意としているとの事(ホームページ)
〇昼食までは鞆の浦散策


過去何度も来ているところなので今回は目頭を変えて高台にある博物館へ。眼下に広がる鞆の浦の絶景スケッチを考えたが時間がかかりすぎるので断念。
盲目の琴作曲者、春の海 で有名な宮城さんの銅像が敷地内公園にあり、又館内には関連して、演奏できる琴等が展示されていた。
その他、お雛さんや 朝鮮通信使関連資料等が所狭しと展示されている。
〇鷗風亭
リゾートホテルの佇まい、昼食は畳敷きの天地一杯の窓に面して瀬戸内海が広がる。

昔は座敷だったと思うけど、今風に椅子席になっていた。ツアー客、自分も含めて足腰に問題あり、が多し。
ツアー代金に含まれない瓶ビール中瓶を追加注文、出発前の精算、1045円やったです。せいぜい700円位との予測が。さすが四つ星ホテル、と言うべきが最近の物価上昇によるものなのか、不明。
〇鞆の浦考
今の鞆の浦、今は有名な観光地になりました。2006年に描いた仙酔島、日本画です。中景は弁天島、無人島やけどお宮が有ります。

仙酔島、昔、国民宿舎があり結構訪れる人が多かったらしいけど、今は閉鎖されました。ので、ここには安く泊まれる宿が自分の知る範囲でありません。
取りあえずは、旅行割で賑わっているんでしょう。でも終わったら、と思うと心細いですね。日帰りツアーも含めて、2割くらい相場が上がっていると言う感じがします。先ほどの、ホテルのビールもそうです。
〇改装なった福山城
福山の友人が新しいお城をぜひ見てね、と今年の年賀状に書いてあった。

さすがに新しい。天守閣には外人さんも沢山来ていたし。館内は博物館で、甲冑類、刀剣類、等時間があったら見どころ満載かな。
最上階は、オープンエアーの展望台。最近、安全対応でガラスや網で囲ったところが多い中、眺望は素晴らしかった。が、ですね、そこから見るものが余りなかった、のが残念。新幹線の駅、と線路では少し寂しいかなと言う感じ?