コロナ日記⑦

コロナ日記⑦ 2021年2月20日(土)
covid19、ワクチン接種が開始され、又全体の感染者数も減少に転じ、少し明るさが見えてきたような気がしています。昨年12月に想定外の新たな急激な感染拡大が始まり、今回の収束のタイミングについては各界とも極めてナーバスになっているような気がしていますが。

〇今回は、色々な感染指標の内、10万人当たりのこの一週間の感染者数をグラフにしてみました。2月12日から19日のデータを基にしています。
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47都道府県別のデータは、あちこちに出回っていますが、前回と同じ趣旨で、関西、中国地方を中心とした主要地域別のグラフになっています。

全国では、7.43人、関西3府県は7.01人、関東4都県では14.03人、そして中国3県では2.03人となっています。関東4都県は全国、関西と較べ倍以上の感染者数になっていて、諸悪の根源がこの関東4都県になっているのは明らかです。
中国3県は優秀です。直ぐにでもGOTO,,を再開してほしいくらいです。島根、鳥取は、この指標、元々少なく1前後なので中国5県は優等生ですね。

〇12月24日からの感染者グラフです。
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1週間を1サイクルとして各地域とも増減を繰り返し乍ら、1月8日をピークとして、減少に転じています。しかしこの1週間を見る限り再び増加傾向になっていて、その主要因が関東4都県にあることは明白になっています。

〇2月18日、島根県知事がオリンピック聖火リレーの県内リレーについて中止する、との見解を打ち出しました。東京のコロナ対策が不十分である、との理由で。
それは、今回集計した地方別の感染者数でも明らかです。日本全体の感染者数の足かせになっているのは、関東4都県です。オリンピック開催都市として、本来ならば日本で最も感染症対策が進んでいなければならない地域が、尤も遅れている訳ですから。
本当、島根県知事にはエールを送りたいですね。何でもかんでも国や東京の言いなりににはならない、と言う強い意志が感じられます。出費丈強いられて、恩恵が殆ど感じられない西日本、そんな自治体の思いを丸山知事が代弁してくれました。

〇あと2週間と少し、3月6日頃は、24節気の一つ、啓蟄(けいちつ)です。虫たちが目を覚ます時期、とされています。
我々も、そろそろ外に出掛けたいですね。

コロナ日記⑥

コロナ日記⑥ 2021年2月8日(水)
中国地方を中心にしたコロナの感染状況、データを取り始めて1カ月半になりました。
このような作業は時間つぶしと言うと少し不謹慎かもしれないと思いつつBLOGを更新しています。 全国では1月8日をピークにこの1か月、山谷を5回繰り返しながらも、明らかに減少に転じています。山の高さで言うと1/3にまで減ってきました。各地域での私見です。
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〇中国3県、この1か月、全国比2%前後で推移
〇関西3府県、この1か月、全国比14%から12%に減少しています
〇関東4都県、この1か月、相変わらず全国感染者の過半数を占めています。
私見です。
中国、関西は皆さんが頑張ったのかな、と思います。この時期に緊急事態宣言を延長と言うのは、余りにも短絡的過ぎないかなあ、と。
条件付きで良いので、この宣言は近い内に解除されるべきかと思います。
域内限定で良いので、少なくとも中国、四国、そして関西とのGoTo、の再開をして欲しいと思います。
〇他方、広島市での大規模な、70万人前提のPCR検査は是非やっていただきたいと思います。今まで避けてきた闇の部分をあぶりだしましょう。コロナ対策で今後の大きな糧となると思います。対象区域の方には是非積極的に協力して頂きたいと思っています。

コロナ日記⑤

コロナ日記⑤ 2021年1月27日(水)
自粛生活の連れずれに脳トレを兼ねて自分なりの見方をグラフにまとめています。まとめ始めて約1か月、全体的には感染者の減少傾向が続いているようです。
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〇今回は、地元中国地方3県もグラフにしてみました。
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こちらも減ってきています。1か月前は広島県が際立っていましたが今は3件が拮抗しています。山口県については1週間前の周南市宇部市の施設でのクラスターが尾を引いているようです。周南市では新たに26日、高校でクラスターが発生しています。

毎日の増減にとらわれず、ある程度のスパンでの傾向を見る事にしています。又、前回にも記述したように、一つの限られた自治体での変化ではなく、周辺の自治体をも含めた感染者数が実態に合っていると思われるので、そのようにまとめています。

広島市では80万人対象のPCR検査を実施するようです。実質的には市中心部に住む無症状者の任意なので28万人程度を想定しているようです。今までこのような試みは日本では無く、無駄遣いと言う人も居ますが、僕は湯崎知事の英断に敬意を表したいと思います。
全国向けテレビのコロナニュースは東京一辺倒ですので中国地方以外は知らない方が多いかも知れません。放送のあり方が問われています。

〇思う事
PCR検査数に応じて陽性者数の増減がはっきりしています。具体的にはグラフで分かるように1週間の周期で繰り返しています。週初めに低く、終わりに高いと言う事。土日は検査数が少ない、と言う事でしょう。検査数が多いと感染者も多くなる。
でも、ならば去年3~5月にかけての陽性者数との相対関係はどうなるんでしょう。当時の検査数は今の10分の1以下の筈です。だったら当時の陽性者数は10倍しなければならない訳です。土俵が全く違うんです。全国の去年春からの陽性者数累計、て何の意味があるんでしょうか?
素朴な疑問です。

コロナ日記④

久々のコロナ日記となりました。

今は国の対応と地方の対応とが入り乱れて、何が何だか分からないような混沌としたもやもや感が漂っています。小さな国土に47都道府県があり、それぞれの知事がバラバラで声を上げ、断片的に政府は国のメンツを保つため緊急事態宣言をある地域にのみ出していると言うような気がします。

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この表は12月24日からの全国感染者数の推移、緊急事態宣言の出ている関西、関東の感染者数推移そして地元広島を含めた3件の感染者数推移をグラフでまとめたものです。各都道府県単位ではあまりにも断片的なので地域で括りました。道州制の先取りみたいな表になっています。
これから首都圏での増減が全体の増減に大きく関与しているのが分かります。かなり激しく増減を繰り返しているようです。
他方、関西3府県と地元中国3県について言えば全体的に増減は緩やかなカーブに落ち着いています。

〇今思う事
広島県でも新規感染者数は11月半ば頃までは1桁台でした。当時と比べると最近は随分と増えてきています。関西、関東と較べるとまだまだ少なくて今の所、生活に制限を感じることはありません。 三密でのマスク、帰宅時の手洗い、を心がけているだけです。でも、電車に乗っての小さな旅行でも、何となくですが自粛状態になっています。パートで務めている近くの老人福祉施設では11月24日からは再び面会謝絶となりました。それまでは限定して面会の方の受け入れをしていたのですが。
西条の酒蔵ボランティア活動は一部再開していましたが、広島県を含め全国的に感染者が大幅に増えたこともあり、年明けからは再度全面的に活動が休止となりました。ガイドとしてのモチベーションを保つ事が困難な状況になりつつあります。

〇後書き
あえて第3波と言う表現は使いませんでした。

ある島の現実その後②

前回の①を公開してから9ヵ月が経過しました。続編がやっと出来ました。
瀬戸内海、ある島の現実その後②です。
3月以来の投稿となりました。

その間、一旦は終息方向と思われたコロナ禍の第三波が12月に入って猛威を振るい、この広島県も例外では無くなってきました。

2019年9月で、母屋を残して、全ての建屋、樹木が撤去されたのは、前回までのブログの通りです。
その後の作業はスローペースで進んでいます。

1、母屋丈を残し、作業の後が生々しく残る敷地でしたが、其処に門扉が完成しました。
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門扉そのものは新たに買ったものではなく、我が友人があちこちから不用となった部材を集めて調達したそうです。
敷地内部からの、最新の画像です。セメントを流し込んだ後になります。
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セメントを流し込む前です。
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2.この3月には、母屋の下屋根、軒先の補強を行ったところまで記述しました。立て付けが悪くなっているところです。
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修理前、軒先が大きく垂れて、瓦が破損しています。
9月には軒先修理作業の為、作業用足場を組み立てました。予想外の難工事でした。この鉄骨は、ご近所の業者の方よりお借りたものです。とにかく重くて、又古い物なので組み立てるのに随分苦労しました。平地ではないので足場の土台が悪かったのも苦労した原因です。ずぶの素人が初めて組上げる訳ですから段取りは悪く試行錯誤を繰り返し乍らやっと組みあがったわけです。出来上がった時は本当にほっとしたものです。
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今回は、門扉設置作業の前にその復旧作業が行われました。軒先が垂れ下がって、即ち軒を支える垂木が朽ち果てているところの部材の交換、及びずれて破損している瓦の葺き替え、及び接着作業です。
垂木は新しいものに入れ替え、板を取り換え、瓦を葺き替え、それをセメントで接着をします。ここでの僕の仕事は、下でセメントを練ってバケツに入れて上に届ける事でした。
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完成です。
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3.今までの経緯を簡単におさらいしておきましょう。
この築90年以上になる邸宅は、友人の今は亡き奥さんの実家で、長い間空き家になっていました。
2018年、行政から路地に張り出した納屋の軒瓦が落下する危険性を指摘され、我が友人は対応に乗り出しました。確かに老朽化で垂木は腐敗し瓦がずり落ちる寸前になっています。

1)2018年9月解体作業前
敷地の殆どが樹木で覆われていました。
鳥瞰図右側、切妻の建物が問題の納屋です。
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敷地内から見た画像です。土塀と、庭を覆いつくす樹木です。
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2)2018年11月~2019年7月にかけて
納屋を除く土塀、門、風呂場、そして炊事棟などが解体されました。
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3)2019年8月~9月
最終的な納屋の解体です。
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巨大な足場は流石に素人の老人パワーでは無理で業者さんで組んでもらいました。又屋根に上る作業は、建築のプロである友人にお願いしました。

途中、8月半ばの台風で、一本丈残した貝塚の巨木が隣地に倒れこむ、と言う災禍にも見舞われました。
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2019年9月6日までに、母屋を残して、全ての建屋、樹木が撤去されました。
巨木倒壊後の鳥瞰図です。
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納屋解体後、母屋丈になった画像です。この正面に今回、門扉が出来た訳です。
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4.後書き
今年は、2020年春に始まったコロナ禍で、未だ終息を見極めることが出来ない状況の中で暮れようとしています。
そんな中ですが、この島での小さな、でも未来への前向きな歩みは、僕にとっても非常に力強い啓発を受けたような気がします。
島のご近所でも結構注目の的になっているとの事です。
今後、この2年以上に及ぶ努力の結果がどのように実を結ぶのか、楽しみにしたいと思っています。少しでも、島の将来に一石を投じることになれば良いと願っています。
老人パワーも捨てたものではないですね。

尾道~常石航路 乗船記

9月半ば、尾道港と常石港間を往復するフェリーに、尾道港から乗船しました。常石とは、常石造船企業城下町で、沼隈半島の海岸線に沿って4キロ以上にも広がる巨大な造船所です。港はこのほぼ西端に位置しています。

〇順序が後先になりますが、先ずは常石港、ここで見つけた蓼場(たでば)のスケッチです。
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港内の奥深く、両側を波止で守られた水路があり、満潮時の水を引き込む浜が有り、そして浜には天然の乾ドックまであったのです。多数みられる軌条はロープの束で、船を手繰るのに使用されるものと思われます。
蓼場とは、船底のメンテナンスの為、潮の干満を利用して舟を浜に乗り上げさせる場所の事です。
左上にせり出しているのは造船所のクレーン、橋の奥がフェリー乗り場で、出港まで余り時間が無いので焦りながらペンを走らせました。
奥の波止の手前際に長方形の謎の斗があり、その時は分からなかったのですが、後で見ると明らかに小さな乾ドックでした。斗の中に2か所設けられた架台、その上あたりに舟を固定すると潮が引いたときには自動で架台に乗ってくれる訳です。凹み部があるので下に潜り込んでの作業が楽そうですね。
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満潮時には、後ろの波止が黒くなっているところまで潮がせりあがってきます。ちなみに当日は若潮、即ち小潮の2日目で潮の干満差は2メートル30㎝程。そしてスケッチをした時間は1pm でほぼ干潮の時刻でした。
奥のフェリー乗船用の可動橋が浮桟橋に向かって大きく下に傾いていますね。干潮故の光景となります。
前回の伊保田港でもほぼ干潮でしたから、まあ、運が味方してくれたのか、と回り合わせの神に感謝です。
満潮なら先ず気づく事のない景色ですから。スケッチの中の船たちは後6時間もすれば全て海に浮かんでいる訳ですね。
以下、当日の時間軸に沿って記述します。

〇朝10時過ぎ、尾道港ターミナルビル内の待合室です。JR尾道駅周辺はこの日も沢山の観光客でコロナ禍を忘れる程の人出でした。でもこの待合室丈は人気が殆ど無く、切符売り場も自動販売機が有るだけで無人。店も閉まっていて寂しい限りでした。港町の看板に偽りあり、です。海際に北前船スケールモデルが寂しく展示してありました。
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昔、北海道から日本海、下関を通って瀬戸内海へ、そして難波津まで、長い航海だったと思います。その寄港地として尾道は繁栄していたそうです。

〇今日乗船する“フェリー百風“が入港してきました。小さな船ですが、新しい船で完全なバリアフリーになっています。背景は、向島日立造船です。今、この会社は船を造っていません。
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1時間ほどの短い航海、途中4カ所の港に寄港します。狭い尾道水道から松永湾を抜けて、先ずは水道の出口、東側にあたる戸崎港、そして対岸、向島の歌港に寄港、その後海は開けて、沼隈半島付け根の満越港に寄港します。次が最後の寄港地、百島の福田港です。
船名からも分かる通り、この航路は百島の為にあるようです。
離島ですが、小さいけれど綺麗な島で、更に特筆すべきはカラフルな新しい家、建物が多数見える事です。
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福田港です。結構な車、人の乗り降りが有りました。
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島と言えば、過疎となってしまう昨今ですが、久々に活気のある島に出会った気持ちがしました。未来を見据えると、この世知が無い世の中の反動として、離島や島が見直されるべきと常々思ってきましたが、この島を見るとその前兆のようなものを感じました。
終点常石港で、百島からの沢山の車、人が降りることになります。ちなみに福田港、常石港間の車の片道航走料は軽自動車で910円です。常石造船所の近くに位置する千年町にはショッピングセンター等が集積していて、案外、島の人は煩雑な尾道を意識して避けているのかも知れません。

〇福田港を出ると、10分程で向かいの常石港に着きます。造船所の沢山の巨大なクレーンが林立しています。入港間近、ひっそりと停泊しているグレイの目立たない船、瀬戸内海の特殊なクルーズ船“がんつう”を発見しました。3000総トン、1泊何十万円もする庶民には縁のない船です。でもこのコロナ禍の中、どれくらい稼働しているんでしょうかね?
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〇昼過、常石港に入港です。
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この港、予想通り何もない、と言うのが第一印象でした。食料、飲み物は持参しています。缶ビールは船内で飲んでしまいましたが。暑い日でカンカン照り、おまけに正午過ぎなので影も無い。見えるのは造船所の高い塀のみ。
30度を超える真夏日、取り合えず造船所の塀に沿ってあてもなく歩くことにしました。でも5分程歩くと急に景色が一変して大きな幼稚園やコンビニ、食堂、生鮮館等がある区域に出ました。晴天の霹靂とでも言いましょうか。驚きの光景です。そこは造船所の本社、事務所等が集まる区域で、大きな駐車場があります。その一角に食堂があったので早速入る事に。客も店の人も全部若い向うの方でした。フィリピン人でしょう。
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ラーメン400円、ビール系金麦R缶120円、合計550円の昼食。 安いですね。ちなみに持参した弁当は帰りのフェリーで、ワンカップは帰りの車中で無くなりました。

誰との会話もなく、しかしほろ酔いで気持ち良く帰途に就きます。
フェリー乗り場に直行の予定でしたが、直前で前述の蓼場を発見してスケッチをすることになったのです。
最初は、船着き場で月並みなフェリーの絵でも一枚描ければいいかな、と思っていたので思いがけない収穫でした。

〇最後にです。蓼場とは、ですが、もしかすると瀬戸内海では地元の人にとっては当たり前の景色なのかもしれません。昔々から繰り返されている単なる生活の場としての景色なんでしょう。又、我々も特に意識をして見ない限り単に舟を係留している丈の入り江としか見ず、素通りしてしまうと言う事でした。その浜の満潮時と干潮時とを同時に見る事は出来ないですからね。
一般的に過疎地、島などに住んでいる人たちは案外歴史などに依存する自分たちの宝物には気づかない、と言いますが本当かも知れません。

〇参考に、フェリー百風の概要です。
2015年、神原造船所で竣工 船主:尾道市
運航:備後商船 
総トン数174トン 全長38m 幅 8.9m
速力10.4knot 主機 ディーゼル 1470PS
旅客 150人

伊保田港、熮場跡

8月初め、周防大島東端の伊保田港へ行ってきました。自縛気味の昨今の生活ですが、久々の他県への越境を実行です。
何も無いフェリーで、何も無い港へ。一時のコロナ禍からの脱出。

でも伊保田港では意外なものも発見出来ました。港の一部に昔の熮場の跡です。干潮から1時間半位過ぎた頃でした。波止の間から海水が流入を始めています。早速、小さなスケッチブックを取り出して印象を速記します。
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絵では見えませんが、右手小舟の奥には船を上陸させる為の軌条があり、陸側にはかなり大きなウインチがあって、軌条とはロープで繋がっています。
そうです。今は漁船等の修理用ドックとして使われているようです。
軌条とウインチの画像です。
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このような場所は気が付かない丈で、案外 瀬戸内海の浦には当たり前に何処にでも存在するのかも知れません。

〇熮場(タデバ)とは木造の漁船等で船底に付いた異物、貝殻等を掃除する仕事で、舟のメンテナンスとしては結構重要な仕事らしいです。昔は松の葉を燻したらしいですが、今はどうでしょう。
福山市鞆の浦には昔の熮場が保存されている、と言うことで有名ですが、前回行った時は運悪く満潮の時で、何も見る事が出来ませんでした。今回、こちらでは夜8時頃には満潮になる筈で、最初のスケッチ中の右側の小舟は、帰りの車中の頃には既に海に浮かんでいたと思います。自然の現象を利用した天然の乾ドックです。堤防の下側、黒くなっている線まで潮位が上がります。

〇その日は午後2時頃がこの地域の干潮でした。夜は満月だったので大潮だったと言うのも幸いでした。干満差は3メートル位だったと思います。
戦艦陸奥記念館からの帰途、3時半頃、干潮から1時間半経過した時、砂紋を縫うようにしてこの天然のドックには僅かに海水が流入し始めていました。浜の波止の際に鷺が1羽留まっていて、あれ、と思いカメラを向けた時、この浜の特殊な構造に気がついたわけです。うっかり見過ごすところでした。鷺に感謝です。
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〇フェリーはお昼の12時半に柳井港を出航しました。何も無い船と目的地なので食料、飲料は調達済でリュックは結構重たくなっています。
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2時前に伊保田港に着き、徒歩で陸奥記念館に行きました。途中、前述の熮場が右手にあったはずですが全く気付かないまま通り過ぎていました。旧日本海軍の戦艦には特に興味はありませんでしたが、他に行くところが無かったからです。

伊保田港です。何も無いところですが船着場丈は綺麗に整備されています。
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陸奥記念館からの北の海を臨みます。
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1943年頃、この広島湾は日本海軍最大の投錨地でした。そこで起こった戦艦陸奥の大爆発、1000人以上の人が犠牲になりました。現地では箝口令がしかれたそうです。

〇帰りは、東広島までJRで乗り換えを含め2時間と少しかかります。。柳井港で買ったワンカップをチビリチビリと頂きながら時を過ごしました。
只、マスクをしてのこの作業は結構大変です。何とかならないんでしょうかネ?
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新製品の登場が待たれます!