zhongjpn’s blog

瀬戸内海

伊保田港、熮場跡

8月初め、周防大島東端の伊保田港へ行ってきました。自縛気味の昨今の生活ですが、久々の他県への越境を実行です。
何も無いフェリーで、何も無い港へ。一時のコロナ禍からの脱出。

でも伊保田港では意外なものも発見出来ました。港の一部に昔の熮場の跡です。干潮から1時間半位過ぎた頃でした。波止の間から海水が流入を始めています。早速、小さなスケッチブックを取り出して印象を速記します。
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絵では見えませんが、右手小舟の奥には船を上陸させる為の軌条があり、陸側にはかなり大きなウインチがあって、軌条とはロープで繋がっています。
そうです。今は漁船等の修理用ドックとして使われているようです。
軌条とウインチの画像です。
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このような場所は気が付かない丈で、案外 瀬戸内海の浦には当たり前に何処にでも存在するのかも知れません。

〇熮場(タデバ)とは木造の漁船等で船底に付いた異物、貝殻等を掃除する仕事で、舟のメンテナンスとしては結構重要な仕事らしいです。昔は松の葉を燻したらしいですが、今はどうでしょう。
福山市鞆の浦には昔の熮場が保存されている、と言うことで有名ですが、前回行った時は運悪く満潮の時で、何も見る事が出来ませんでした。今回、こちらでは夜8時頃には満潮になる筈で、最初のスケッチ中の右側の小舟は、帰りの車中の頃には既に海に浮かんでいたと思います。自然の現象を利用した天然の乾ドックです。堤防の下側、黒くなっている線まで潮位が上がります。

〇その日は午後2時頃がこの地域の干潮でした。夜は満月だったので大潮だったと言うのも幸いでした。干満差は3メートル位だったと思います。
戦艦陸奥記念館からの帰途、3時半頃、干潮から1時間半経過した時、砂紋を縫うようにしてこの天然のドックには僅かに海水が流入し始めていました。浜の波止の際に鷺が1羽留まっていて、あれ、と思いカメラを向けた時、この浜の特殊な構造に気がついたわけです。うっかり見過ごすところでした。鷺に感謝です。
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〇フェリーはお昼の12時半に柳井港を出航しました。何も無い船と目的地なので食料、飲料は調達済でリュックは結構重たくなっています。
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2時前に伊保田港に着き、徒歩で陸奥記念館に行きました。途中、前述の熮場が右手にあったはずですが全く気付かないまま通り過ぎていました。旧日本海軍の戦艦には特に興味はありませんでしたが、他に行くところが無かったからです。

伊保田港です。何も無いところですが船着場丈は綺麗に整備されています。
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陸奥記念館からの北の海を臨みます。
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1943年頃、この広島湾は日本海軍最大の投錨地でした。そこで起こった戦艦陸奥の大爆発、1000人以上の人が犠牲になりました。現地では箝口令がしかれたそうです。

〇帰りは、東広島までJRで乗り換えを含め2時間と少しかかります。。柳井港で買ったワンカップをチビリチビリと頂きながら時を過ごしました。
只、マスクをしてのこの作業は結構大変です。何とかならないんでしょうかネ?
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新製品の登場が待たれます!